第5話 四丁目の犬は足長犬だ。三丁目の角に此方向いて居たぞ

昭和初年の犬だって狂犬病の予防注射も受けていたろうし,首輪も付けていた。しかし鎖につながれているような,へまな犬はいなかった。また威厳があった。犬はこわかった。ましてよその犬はこわかった。よそとは通学区域外のことである。私は見て見ぬふりをしてそっと通る。犬の白目が血ばしっている。弱虫のチビめがと横目でにらんでいる。
そのよその犬が小学校に紛れ込んで来ることがある。小学生の数は多い。一組80人,一学年5組,六学年で2,400人である。本郷の小学校一校の生徒数はそんな数であった。校庭をわーわー,キャーキャー逃げまわる。初めのうちは面白半分であるが,犬も興奮してくる。
「みんな教室に入って戸を閉めろ!」
先生がどなる。戸を閉められて廊下に取り残された子が泣き叫ぶ。戸を開けると犬も一緒に飛び込んでくる。チビの私は素早く机の上に飛び上って難を逃れる。最後はデブがお尻をかまれる。先生がやっと犬をつかまえる。
夏の真夜中,都電の最終電車に乗り遅れ,本郷通りを一人とぼとぼと歩いて帰ったことがある。旧制中学のころだと思う。通りの真中,都電の線路のあたりに,一匹,三匹,二匹と犬が寝そべっている。本郷通りを駒込にかけて,点々と寝ているのである。何十匹,何百匹だろうか。まさに奇観である。しかも争う様子もなく,仲良く腹ばいになっているのである。人間がいなければ,犬同士折合いをつけているのだろうか。線路の下の花崗岩が冷えて心地よいのであろう。

二晩おきに
夜の一時頃に切通しの坂を上りしも―
勤めなればかな

明治の末,啄木も「喜之床」に帰る途中,夏にはこんな光景を見ていたにちがいない。

タイトル
「四丁目の犬は足長犬だ 三丁目の角に此方向いていたぞ」
は野口雨情の詩より引用いたしました。